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もっといい社会は作れるはずだ。
この一○○年ほどの間、「自動車の時代」が続いてきた。
しかし今日、エネルギー多量消費型の自動車中心の交通システムは、もはや無限の機動性という約束を果たせなくなってきている。
エネルギー使用の面だけではなく、交通渋滞や労働力の使い方を見ても、効率が極めて悪いシステムとなっているのだ。
田舎社会であれば、自動車は確かに機動性を非常に高めてくれる。
しかし、都市化が進むにつれて、車と都市は両立しないことが明らかになってきた。
交通渋滞や大気汚染、騒音、道路や駐車場のために舗装されてしまった耕地などを見れば、この車と都市のぶつかり合いは明白だ。
例を挙げてみよう。
ロンドン市内を走る車の速度はどのくらいだと思われるだろうか?何と一○○年前ロンドン辺りを走っていた馬車のスピードとほとんど変わらないのである。
自動車や道路に巨額の投資をして、結局、馬車の速度しか出せないのだ。
また、バンコクは世界でも最も交通渋滞のひどい都市のひとつだが、運転者は平均して年に四四日間、交通渋滞で動けない車の中に座っている計算になる。
これは「機動性」ではなく、「非機動性」としか言えない。
自動車を中心に据えたアメリカ型経済モデルが世界標準だという古い考え方は、今や捨て去られようとしている。
今日アメリカでは、世帯数よりも車の台数の方が多い。
つまり、都市と車は両立しないといわれても、「まさか」「ウソでしょう」と思う人は、世界の大都市を見てほしい。
ニューヨークでも東京でも、その他の大都市でも、それこそ「まさか」ということが起きる。
タクシーに乗って商談先か空港に向かっているとしよう。
車の列は遅々として進まない。
イライラが高じたあなたはタクシーを乗り捨てて歩き始める。
すると、タクシーよりずっと早く目的地に着いてしまったりするのだ。
この現実は受け入れ難いかもしれないが、これほど狭い地域に、人や企業が密集している状況下では、車はそれほど効率的な移動手段ではなくなっているのである。
実現不可能な夢各家庭に車一台各家庭に一台どころではなく、ニ台も三台も所有しているのだ。
たとえば、日曜日の午後には、家族のそれぞれが自分の車を運転して出かけていくという具合である。
日本はアメリカほどの車文化ではないものの、それでも車を所有する世帯の割合は一九七○年の二○%からうなぎ登りで、今日では七○%を上回るまでになっている。
三年前に中国政府は、今後ニ○?三○年の成長産業として、五業種を取り上げることを決定した。
自動車産業、通信、石油化学、機械製造、建設である。
この決定の発表後ほんの数ヵ月のうちに、北京の科学技術院の科学者が多数集まり、自動車産業推進に異議を唱える白書を出した。
理由はいくつかあったが、第一の理由が土地不足だった。
科学者たちは、国民に食糧を提供し、かつ自動車中心の交通システムを作るほどの土地は中国にはない、と主張した。
高速道路や駐車場、給油所等の少なくとも一部は、耕地をつぶして作られることになるからである。
中国はすでに食糧自給に窮しており、史上例を見ないほどの大量の穀物を外国から輸入している。
中国の面積は広しといえども、国民の大部分は、東岸から南岸に一、五○○キロメートルにわたって細長く伸びる土地に住んでいる。
残りの国土は半乾燥地帯で、ほとんど人が住んでいない。
今ですらごく狭い地帯に膨大な人口を詰め込んでいる人口密集地耕地の喪失だけが理由ではない。
石油の利用量を考えてみよう。
中国が、各家庭に一台の自動車という目標を達成したとすると、一日に八、四○○万バレルの石油が必要となる。
ところで、一九九六年の産油量を見てみると、世界中あわせても一日六、四○○万バレルだ。
世界中で産出される石油を、すべて中国の車に注ぎこんでもまだ足りないのだ。
このような懸念に対応する中で、中国政府の「何としても車を」という思い入れの度合いは減少してきたようだ。
中国だけの問題ではない。
世界の他の地域はどうだろうか?インドやインドネシア、ブラジルのような新興工業国が、家庭に一台という目標を持ったとしたら?もう一つ、車から吐き出される二酸化炭素、その他の汚染物質を考えてみよう。
今日の二酸化炭素排出量の五分の一が、交通輸送分野から吐き出されている。
燃費が向上したとしても、世界中の家庭に一台ずつ車があったら、大気や土地資源にかかる圧力はすさまじいものになるだろう。
中国などの国々が抱える膨大な人口を考えれば、アメリカやヨーロッパ、日本で大成功を収めているように見える西洋型の産業発展モデルを、中国やその他の発展途上国が実現することは、明らかに不可能である。
発展途上国だけではない。
長い目で見れば、工業国がこのまま維持していくことすら無理である。
自動車業界がすばらしいマーケティング活動を展開した結果、自動車は世界のどこでも「文化の象徴」となった。
車は、物質的成功や個人主義、自由を手に入れた印なのだ。
自動車の本来の目的は「機動性を得ること」だが、自動車メーカーは.それ以上に、「車を所有することの象徴的ステイタス」を作り上げようとしてきた。
それがどれほどうまくいっているかは世界中に例を見ることができる。
日本でもインドでも、若い都会人の間では、高性能で様々なオプションが付いたジープやレンジ・ローバーが、かつてない人気を誇っている。
実際には乗り手がこれらの機能をすべて使って、でこぼこ山道を運転することなどめったにないだろう。
それでも、アウトドアのイメージを楽しみ、この車を所有することで何よりも大切な「自由」を手に入れられると思っているのだ。
「車を持っていたら格好いいよなあ」という魅力は確かに大きいが、そろそろ現実に向き合う時ではないだろうか。
今日明日の利益を得ようと、ピカピカときらめいて手招きする自動車産業マーケティングの向こうには何があるか、と。
コンパクトカーを運転しようと、賛沢なセダンに乗ろうと、環境コストは現実に発生しているのだ。
一九八○年代後半に、車がいっぱいあるアメリカと車がほとんどない当時のソ連で、通勤時間の比較調査が行われたが、差はほとんどなかった。
ソ連国民は片道三○分、歩くかバスに乗って通勤する。
一方アメリカ人は、離れた郊外に住んでいるか、交通渋滞に巻き込まれるかで、車を使っていても結局同じ時間かかってしまうのだ。
イライラするほどの長い通勤時間は自動車中心社会の大きな特徴だ。
健康面から見ても、自動車に問題があることは明らかだ。
われわれの日常生活には運動する時間などなくなってしまったので、ジムに通ったりジョギングをしたり、生活の中にわざわざ運動する時間を取らなくてはならない。
動かない自転車にまたがって三○分間のエクササィズをするために、スポーックラブまで車を運転していく人がどれほどたくさんいることだろう。
何ともおかしなことだ。
このようにいろいろな点から、自動車中心の文化が、地球規模で広がることは考えられないのだ。
自転車革命の始まり?今日世界のあちこちの地方自治体特に都市の自治体が、もっと進んだ公共輸送システムを作り、自転車の利用を促進することで、自動車への依存を何とか減らそうと模索し始めている。
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